rete memora (前編)


rete memora (前編)
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メタファリカを実現した少し後のメタ・ファルス。
人々はもうじき始まる、新しい大地での生活に期待で高揚していた――。

ここは、交易都市ラクシャク。
クロアは今、パスタリアからここへ到着したばかりだ。
メタファリカを巡る抗争の中で一度は敵対する形になったものの、
今でも大鐘堂騎士団に在籍しており、住まいもまだ向こうである。
そのパスタリアからラクシャクまでの距離は決して近くはないが、クロアは時間を作っては
こうしてまめに渡航していた。……行きたい理由がそこにある限りは。

活気あふれる大通りを人並み掻き分けて進んでいると、
「ああーっ! いたわ!」
後ろからいきなり服を掴まれた。クロアが振り返るとそこにはルカの自称後輩、
空猫が息を切らして立っていた。
その後ろで料理店『ボンベルタン』の扉が大きく開け放たれているのが見える。
どうやらクロアの姿を見留めて、全力で飛び出してきたようだ。
「よかったわ! そろそろだと思ってたのよ……ナイスタイミング!」
「いきなり挨拶もなしにとんだ看板娘だな……。
 ……ところで、なにが『そろそろ』なんだ?」
「え? ええーと……ほら……、アレよ。
 そろそろまたラクシャクに来る頃かなーと思っていただけよ! 
 ……クロア君、先輩がこっちにいる時はすっごい頻繁に来るじゃない?」
横目でからかうように言われて、クロアは二の句を次げない。
「先輩ならボンベルタンに避難させてるから来て!」
「ああ、分かったありがとう。……でもなぜ『避難』なんだ?」
「話はあと」

赤基調のフロア内を何故か素通りし、調合で世話になった馴染みの厨房へ通される。
その片隅で、背もたれのない丸椅子に座っている二人の女の子連れを見つけた。
そのうちの片方が、こちらに気がつくと駆け寄ってきた。
「クロア!」
嬉しそうに笑いかけてくるルカを見て、自然とクロアからも笑みがこぼれる。
「クロア、こっちに来て仕事は大丈夫なの?」
「開口一番の言葉がそれか?」
苦笑いしつつも多少脱力しているクロアの態度を感じて、ルカは慌てて取り繕う。
「ち、違うの! クロアが来てくれたのは……すごく嬉しいよ?
 でもその、無理させてないかなって……。騎士隊の任務って大変でしょ?」
「いや、別に今はそうでもない」
確かに以前まではI・P・D捕獲の出動要請や、神聖政府軍との小競り合いで奔走していて、
まともな余暇は無かった。しかし大鐘堂のI・P・D誘発という暗策が消え、
各勢力も統合された今、I・P・D暴走も激減し、主なミッションは新大陸の現地調査に
割かれている。
ただI・P・D暴走は全く無くなった訳ではなく、たまに捕縛要請が掛かるが、
すぐに治療されて帰されるよう体制は改善された。

「そもそも今回はいきなり、クローシェ様がお目付け役も兼ねて、
 俺にルカの様子を見て来いって急な余暇をくださったからなんだけどな」
「へ、へえ……そうなんだ、良かったねっ」
「まあな……何か、ほとんど命令みたいだったけどな」
クロアの脳裏には、クローシェにこき使われている窮地の……いや、旧知の友
タルガーナの様子が浮かんだ。何故かクローシェの執務室から退室間際、
「一人だけ逃げる気か」だの「私だけどうして日々雑務と小間使いなのだ」だの
クロアに向かって怨念を向けていたような気がするが多分気のせいだろう。
「まあ、ありがたく休ませてもらうよ。
 クローシェ様には優秀な補佐役がいることだしな。
 ルカこそ、今日のセラピの仕事は終わったのか?」
「うん、終わっちゃったよ。
 じゃあ、クロア……明日もゆっくりしていけるんだね」
「そうだな、三日ほど予定はないから……こっちでのんびりしようと思う。
 ルカもまだこっちでダイバーズセラピの仕事期間だったよな?」
「そうだよ。えへへ……やった、嬉しいなっ。
 ――協力ありがと、レイカちゃん……」
クロアは、ルカの最後のつぶやきに気付かなかった。
と、その時

「ちょっと、私達のこと忘れてない?」

後ろで声がした。
二人が振り向くと、そこにはルカのセラピ仕事の同僚、ノノと空猫が
やや仏頂面で立っていた。
「ルカも彼氏が来たら、すぐ二人の世界展開してくれちゃって。
 あーあ、うらやましいわね」
「あ、ご、ごめーん……」
恥ずかしがりながら気まずそうにするルカを見て、ノノはいたずらっぽく笑った。
「ふふ、ルカってほんと可愛いわね」
「ええ、先輩はとってもカワイイわよ。だから、大変なのよ!」
いきなり話に割り込んできた空猫の剣幕に、クロアはそういえば、と思い出した。
「大変って何がだ? さっきも『避難』とか言っていたが……」
「そうよ避難よ。私がずーっと危惧していたことが、遂に現実になってしまったのよ!
 もう! どうして彼氏の貴方がしっかりしていないのよっ!」
空猫の真剣すぎる糾弾にクロアはやや困惑した。
いつも彼女はルカのことに対してだけは過剰反応するので、普段は流しているのだが
今回はなんだか事情が悪そうだ。
「そ、空猫ったら……。別にそこまで深刻って訳でもないから……」
「いーえっ! 深刻よ! 由々しき事態だわ!」
「まあ、空猫さんの言うとおり、あのテのは放っとくとちょっとマズいかも……」
「なんだ? 何かあったのか、ルカ」
一人話が見えないクロアは、どうやら問題の当事者らしいルカの顔を見るが
彼女は困ったような笑顔を返すだけだ。
代わりに、空猫がぐいっと顔をこちらに向けて、険しい表情で答える。

「単刀直入に言うわ。先輩は今、ストーカー被害に遭ってるのよ」

「ス……ストーカー……!?」
「そうよ、言っとくけど勿論相手は男よ。これが心配せずにいられる!?」
流石にやや動揺の色を隠せないクロアに、ルカは慌てたように言葉を挟む。
「空猫ったら、それはちょっと言い過ぎだと思うんだけど……。
 ちょっと色々とオーバーリアクションな人ってだけで……」
「……よく考えてみれば、空猫も相当ルカにはテンション高いしな。
 それを踏まえれば、その人も熱狂的なファンってだけで、問題ないんじゃないのか?」
当のルカは余り気にしていなさそうなので、クロアは少し冷静にそう言ってはみたが
正直、あまりいい気はしない。ただでさえ元々人気の高いセラピストとして有名だったが
今は『メタ・ファルスの御子』として、彼女のイメージがブランド化しているのだ。
確かに御子にダイブ出来るという事はそれだけで充分魅力的だろう。
それ故に物見遊山なセラピ客が後を絶たず、現状ルカのセラピを受けるにはかなりの
ハードルが用意されているのだ。
……クロアとしては、自分の彼女がこんなにも人気がある事は歓迎すべきなのだろうが
やはり、いささか複雑ではある。こんな狭量な事とてもルカには言えないが。
(……以前までは、それなりに許容していたんだがな)
それはやはり、多少なりとも彼女への無関心さの表れだったのかも知れない。
今ではこんなに、彼女に対しての独占欲が彼を苛んでいるというのに。
「先輩には解らないのよ! どれだけ異性にとって先輩が可愛らしく見えているか。
 クロア君なら解るわよね!」
「お、俺に振るなよ……」
「……クロア、答えてくれないの?」
「まーまー。でも正直な話」
ちょっと拗ねた様子でルカはクロアの言葉を促すが、そこにノノが割って入り、
言葉に詰まっていた彼を救う。
「その問題の相手ってば、ここ数日ずっとダイブ屋やセラピ協会に出待ち体勢だし、
 ホテルにまでついて来るし、何かといえば『ファンなんです!』って
 プレゼント攻撃だし。受け取り拒否してるけど。
 お陰で今はルカは仕事以外ホテルに篭りっきりよ。一人じゃ危なくて歩かせられないわ」
「……何か意外と重症そうな事態だな……」
「そうよ! だから何故かうちに『プレゼント渡しといてください!』って
 押し付けられてるんだから。ここは荷物転送サービスなんてやってないっつの!!」
「そ、空猫ぉ、言葉使い……」
「おっといけない」
「……聞けば聞くほど、真っ黒じゃないか」
クロアは被害者、である筈のルカの様子を見るが、やはり当の本人はあまり問題に
感じていないようだ。どちらかと言えば空猫の激昂振りに辟易しているらしい。
クロアは改めて、ルカに向き直った。
「ルカ、俺もこれは少し行き過ぎ感が否めないな……気をつけないと」
「え、そうかな? でもきっと、すぐに飽きると思うよ?
 最初だけでそのうち落ち着くんだから、そういう人って」
流石は対人関係で擦れた考え方、経験をしてきたルカらしい斬り捨て方だが
世の中には諦めの悪い輩もいることを解って欲しい、……とクロアは心の中で嘆いた。
公衆の面前でこっぴどく振られ、冷たく突き放され、それでも未練がましく跡を追いすがった
男が目の前にいる事を、ルカは忘れているらしい。
「とにかく、暫く外に一人で出ない方がいいな。必要なら俺も一緒に付き添う」
「そうよクロア君、そうこなきゃ!」
「え、でも……クロアは休む為にこっちに来てるのに……」
「……ルカってホント変な所で鈍いというか……。クロア君の厚意なんだから
 素直に受けなさいよ」
「う、うん……」
ルカはやや複雑そうであったが、ここは素直に頷いた。
「じゃ、そういう事だから先輩のボディーガード宜しくね!」
「二人ともしっかりね」
二人の熱い声援に送り出されて、クロアとルカは料理屋ボンベルタンを後にした。

もう世界には夕闇が迫ってる刻限で、建物も行き交う人の顔も薄闇掛かっている。
ホテルへ向かう短い道中、クロアが辺りに注意を払いながら歩くので
ルカはちょっと苦笑した。
「もークロア……。大丈夫だってば。神経使うだけ損だよ」
「いや、何があっても大丈夫である為に最善を尽くすのが護衛の心得だ。
 何といってもルカは御子だし、過失は赦されない」
「……流石は騎士団エースらしい受け答えですこと。
 でも、それってやっぱり……私が御子だからなんだ?」
返しに不服そうな響きが混じったのを感じて、クロアは顔を思わずルカへ向けた。
ルカは顔を俯かせたままクロアの方を見ずに、拗ねたように言葉を続ける。
「仕事とはいえ、無条件で優先的に護って貰えるなんて羨ましいって
 クローシェ様に初めて会った頃は思ってたのにな。
 いざ自分がそういう立場になってみて、それがちょっと寂しいなんて思わなかったよ」
「御子だからって訳じゃないぞ。俺はルカが心配だから……」
クロアは言い募ろうとしたが、ルカに「でも」と切り替えされてしまう。
「クロア、まるで仕事してるみたいなんだもん。
 せっかく会えたのに私の方全然見ないで周りばっか見てるし……」
(……ルカは本当にストーカーの事なんて気にしていないみたいだな)
どうやら折角一緒にいるのに自分に構ってくれないのが不満らしい。
もしくは、御子扱いされた事に対して微妙な疎外感を与えてしまったか。
(両方かな。……やれやれ)
クロアは心の中で苦笑した。ルカの危機感のなさに感服したのもあるが
こちらはこんなにも、目の前の少女の事だけを考えているのに
どうやら余りあちらには伝わっていないようだ、残念な事に。

―――どうしたら、伝わるだろうか。

ふいにクロアは、ルカの肩を捕まえて自分の胸へ寄せた。

「ク、クロア?」
急に引き寄せられて、ルカは少し戸惑いを見せた。
「……これで恋人として近くにいれて、何かあればすぐ護れる。
 どう見ても仕事には見えないだろ?」
「は、恥ずかしいし……ちょっと歩きにくいよぉ」
「俺がこうしていたいんだ。せめてホテルまでは我慢してくれ」
肩を掴んでいるクロアの手に力が篭もる。それは離す気はないという、彼の強い主張。
ルカは「もうしょうがないなぁ」と言いつつまんざらでもなさそうだ。すっかり機嫌が直っている。
嬉しそうに頬を赤らめながら大人しく体をクロアに委ね、寄り添う。
「――………」
どう見ても仲睦まじいクロアとルカの様子を、ホテルに入っていくまでの間、
遠目でじっと観察している人物がいる事に、結局二人とも気付かなかった。

ルカが泊まっているホテルの一室に、クロアも護衛目的という免罪符で潜り込んだ。
先にベッドに腰掛けて寛いでいるルカに、シャワーを終えて戻ってきたクロアは
確認するように訊ねた。
「ルカは、明日もダイバーズセラピの仕事をしに行くのか?」
「あ、明日は……」
何かを言い掛けたが、ルカは少しだけ考えた後こう続けた。
「う、うん。明日もお仕事に行くよ。だ、駄目かな?」
「いや、駄目までとは言わない。ただしくれぐれも気をつけてくれよ。
 送り迎えはするから、帰りは必ず連絡をして欲しい。いいか?」
「分かった。このホテルのカウンターにテレモ在ったよね。
 それで連絡するから」
「頼んだぞ。忘れて一人で帰ってくるなよ」
クロアの念押しに、少しルカも呆れ顔を隠せない。
「大丈夫だってば。……じゃあ、今日はもう休もうか?」
「ああ、そうだな……」
「だーめっ、クロアはあっちのベッドー!」
「……何だよ、『駄目』なのか?」
「だめだめだめだ――めっ! 今日は『だめ』なのっ! 
 ……で、でも……ええとね……」
シーツに包まったまま赤らんだ顔だけを出して、おずおずと続ける。
「………あ、明日なら……いいよ?」
クロアはやれやれ、と小さく肩をすくめた。
二人のベッドの間にあるサイドテーブルの灯りを消してから、
ルカとは違うベッドのシーツに潜る。
「ルカの『明日』は当てにならないんだが……まあいいか。
 おやすみ、ルカ」
ルカも小さくおやすみ、と返す。
そしてクロアに背を向ける様に寝返りをしてから、シーツの中でそっとルカは呟いた。
「クロアったら……本当に忘れちゃってるんだから、もう」

薄いカーテンから朝日が漏れて、部屋に淡い光が溢れる頃。
一番に起きてさっさと身支度を整えたルカは、いつまでも寝扱けている
クロアからシーツを勢いよく剥がして起こしていた。
二人で軽く朝食を摂った後、ルカは仕事へ向かう準備をする。
「えへへ、お待たせ。じゃあ行こうか?」
「ああ。向かう先はセラピ協会でいいんだよな」
「う、うん。お仕事だもん」
揃って、朝から人の営みで活気のいいラクシャクの街道を歩く。
ちなみにクロアは、今朝は最初から人目もはばからずルカの肩を抱いている。
ルカももう、抵抗しなかった。無駄だと悟ったのだろう。
途次時折、声を掛けてくれる顔馴染みや常連客にひやかされながら、二人は目的地の
セラピ協会へ到着した。ルカは、はにかんだ笑顔をクロアへ向ける。
「えへへ……ありがとクロア。ええと、本当に帰りも連絡するんだね?」
「ああ。絶対に絶対に頼む」
「わかったってば。……でもクロア、今日は日中どこかに出掛けたりするの?」
どこか探りを入れるように、ルカは上目遣いでクロアの予定を問う。
クロアは軽く首を振ってからきっぱりと伝える。
「いいや。ずっと宿部屋にいるから心配しなくていい。
 だから、いつでも気にせずに連絡入れるんだぞ」
「う、うん。で、あのええとクロア―――肩掴んだままなんだけど……」
「……このまま戻りたいんだが」
「もぅ、だーめっ!」
ルカは両手で、自分の肩を抱いたままのクロアの大きな手をそっと外した。
と、クロアにそのまま片手だけを捕らわれて、指に唇を当てられた。
優しく自分の指を口先で嬲られ、ルカはくすぐったさと恥ずかしさで身じろいだ。
「く、クロアっ」
「往来だからこれだけで我慢してるんだぞ」
ルカの手を彼女の元へ戻しながらの、クロアのどこか恨めしそうな一言。
そして、腰をかがめて――ルカの耳元で、いたずらっぽく囁く。
「でもまあいいか。『今夜ならいい』って、お許しは頂いてるもんな」
「っ! もう、クロ――ぁっ」
かかる吐息と眩むような色声に、ルカが動顛した間を待たずに
クロアはさらりと彼女の耳を食んで舐めた。さっと顔を上げる。
それは見事な早業。誰も二人の密事には気付いていない。
ルカは甘い奇襲に遭った右耳に手を当てて、ぽつりとこぼす。
「……なんかクロア、段々私の言う事聞かなくなってない?」
顔も耳も染めて、やや不本意そうな彼女の様子にもクロアは爽やかに返す。
「心外だな。ルカの意思は尊重しているんだが」
「おいたが過ぎるよぅっ」
暫し唇を尖らせてむくれていたルカが、ふとクロアの首後ろを背伸びして注視した。
そして、声を掛ける。
「もぅクロア、後ろの襟口に糸くずついてるよ」
「え? どこだ?」
「頭下げて。取ってあげる」
クロアは言われたとおりにルカに向かって頭を垂れた。
ルカは爪先立ちで左手をクロアの肩へ置き、右手を首後ろに回す振りをしながら、
―――丁度、ルカの袖衣で隠れて周りから見えない―――彼の唇を素早く自らので、食んだ。
舌でクロアの口先をちろりと舐めてから、素早く後ずさりで彼から離れる。
「えへへっ。お返しだもん」
舌を出して、照れながらも満足そうなルカの笑顔に、クロアは眼鏡奥の眼を据えた。
「……外じゃなかったらやり返してるんだけどな。まあいいか、夜で」
その声はひどく押し殺した呟きだったので、彼女の耳には届けられなかった。
かわりに両手を腰に当てて、溜め息を吐いてから、芝居がかった声をあげる。
「ルカには敵わないな、負けたよ」
「うん、よしよしっ。えへへ、勝ったっ」
屈託のない笑顔がこぼれる。ルカは後ろ手に組んでくるりと踊るように回ってから
クロアを覗き込むように視線を合わせて来た。
「じゃあ、そろそろ私行くねっ」
「……ああ。無理するなよ」
「うん。クロアも気をつけて戻ってね」
クロアの名残押しさも介さないかのように、ルカは颯爽と、建物の中に消えた。
その後ろ姿を見えなくなるまでしっかり見届けてから
クロアは踵を返して、もと来た道を戻って行った。
……そして、少し経ってから。
クロアが帰路に着いたのを確認するように――ルカが、そうっと建物から出てきた。
念入りに辺りを見回す。そして、そこから別の何処かへ向かおうと、歩き出した。

その時、ずっと昨日の帰りと、今朝の今まで二人を見つめていた人物が
ルカに、声を掛けてきた。



いつもと変わらない、ささやかで愛おしい日常。
いつでも大切な人が、となりで笑ってくれる幸せ。
それは、いつまでも続くと思っていた―――

筈、だった。



それは、ルカと離れてからたった二時間後。
宿部屋でのんびりと、雑誌を読み耽りながら寛いでいたクロアの元に
ロビーのカウンターから呼び出しが掛かった。
テレモでお客様へのご連絡が入っています、と。
予定通りだが、予想外だった。
―――もう、仕事が終わったのか?
クロアは多少の疑念を抱きつつも、急いでカウンターへ向かい、テレモに出る。
『く、クロア君!』
意に反して向こうの声の主は、空猫だった。
「空猫? どうしたんだ、テレモなんか使って」
『あ、あの、あのね、大変なのよ! お、落ち着いて聞いてね……』
その声は明らかに焦燥し、動顛している色が窺えた。
向こう側に漂う不穏な空気を感じて、クロアの胸に嫌な予感が擡げ出す。
「落ち着くのはどっちだよ。ところで、ルカは……」
『実はね、先輩が――――!!』

クロアは次の瞬間、弾かれたようにホテルのロビーから外へ駆け出していた。


息するいとまも惜しんで、クロアは全速力でラクシャクを走り抜ける。
先を急ぐ彼の脳裏に、先刻の空猫の台詞が木霊する。
間違いであって欲しい。そんな事が起こる訳がない。
そんな祈り文句を知らずに呟きながら、クロアは走った。
ルカの勤め先であるセラピ協会の建物へ風のように滑り込み、通路の分岐を
左に曲がり、迷いもなく突き当たりの部屋のドアノブを回した。
ノックもなくいきなり開け放たれたドアに、部屋にいた数人は一様に驚いた顔を
こちらに向ける。
そこは程よい広さ、大き目の窓から陽が差し込む明るい空間。セラピストが休む為に
用意されている、簡易休憩室兼仮眠用ルームの一室。
そこに居たのは、見知った顔であるノノや空猫、そして恐らくセラピ仲間と思われる
面々の女性達が2、3人。皆、部屋のやや中程に設置されているベッドに集まっていた。
そのベッドに――身を起こした状態で――いる人物を見て、クロアは声を上げた。

「ルカ!!」
息を切らせながら、クロアはベッドへ、ルカへ駆け寄った。
しかし、彼女はびくっと身を竦ませると、恐る恐る一言だけ発した。


「……あ、あなた、誰……ですか? 『ルカ』、って……?」


瞬間、クロアは凍りついた。
一緒にいたからこそ、過ごしてきたからこそ判る、ルカの素。
今まで向けられた事の無い、初対面からくるよそよそしさ。
目の前の少女は本気で、クロアに対して面識が無い様子であった。
傍に居るノノや、事態を報告してくれた空猫も、どうしていいか分からずに
自失呆然気味のクロアと、見知らぬ人達に囲まれ困惑しているルカを、交互に見つめる。


死の雲海へ突き落とされる様な深い絶望感が、クロアを襲う。



―――ルカは、記憶喪失になっていた。









       ――――rete memora (後編)に続く







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since 2010/01/30















前の終わらせ方だとこの話で何をやりたいのか解らんので。
しかし、いつになったら書き上げられるのか……。
どうか後編は気長に………orz

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